昭和46年03月20日 開教5年祭奉迎委員会発会式



   (途中から)
 今日ねこれだけは分かって欲しいと思う事、何時もそうです。丁度只今あのお昼休みをしてる、そこでお食事をさせて頂こうとしておりましたら、玖珠町ですね、大分県の玖珠町の今度市長選じゃない町長選ですね、に5人の立候補があるのに、その立候補の方が、お願いに見えられました。丁度その合間電話が掛っておりましたけれどもですね、何時来られても困るんですよね実際は。
 けれどもどうですか、もう今から食事でもさせて頂こうかと、お茶も上げられるお食事もさし上げられる。そしてお食事が済んだら帰ってもらえると言った様なね。まぁ素晴らしいタイミングの中に、おかげを頂いたんですけれども。まぁ私はその今度市長さんになられるという方にお話を致しましたんですけれどもね。30年間でしたね、あの助役を務めておられた方でございます。
 そういう意味でですね、例えば玖珠町の事はもう隅から隅まで、その町政の事も又、その手腕においても皆が認めておって、分られておられる方だと。いわゆるそういう意味でその縦の事には言わば、自信を持っておられる方。ところがその5人後の4人の方達というのがまぁいうならば、自分でも言っておられましたけれども、ドングリの背比べでですね、それぞれに矢張り自信を持った人達が出ておるそうでございます。
 ですから結局縦にはつながっておるけれども、横に全然つながっていないという、お知らせでした。ですから横のつながりを頂くためにね、今日一つあなたが分かって頂かねばならない事はね。私がね例えば町長にならせて頂いたら、4人の誰よりもです私が町長になった方がです、玖珠町の幸福につながるんだと、その玖珠町の幸福は、大分の市県そのつながりが出来るのは、私より他にないというくらいな、一つ自負を持って掛からなければいけません。
 今日あなたがここに、御神縁を頂かれたと言うこと。それはどういう事かと言うと、今日は総会そして今度の、記念祭の奉迎委員会が、この食事を終わった後から、開かれる訳なんですけれども。ここではそのあなたが、例えば今日を境にここのご信者になられるとするか。そんならばやはり私はここで、私と皆さんと神様という、縦の繋がりがあるように、矢張りこの横の繋がりが出来る様なものだ。
 だから一つ本気でねあなたが信者にならせて頂くと言う様な、ならせて頂いて教えを元にして、誰が町長になるよりも、私が町長になったが、玖珠町の一番幸せになれるんだという確信をもって、今度の立候補の声明であり、4月何日に開かれる選挙に、見事当選のおかげを頂く確信を持って進みなさい。それにはこことのつながりが出来る。私とあなたのつながり。同時に今日は総会です、ここの信者さん方ともつながるという、今日は思いがするじゃないですかと。
 今日は沢山あそこに集まっておりますが、やっぱここの信者の、幹部の方達ばっかりが、沢山集まってます。その中にあなたが一員、これからこうやって頂こうと言う事になると、その私とあなた。そしてここのご信者さん方として横に繋がる様にです。町でもそういう働きがあるでしょうと私が申しました。ここで横のつながりを頂かれる事によってです。同時に今度は玖珠町に帰られて。
 そして縦の自信は持っておるけれども、横につながりを不安に思う所に、やはりあくせくとしなければならんのですからと言うて、まぁ申しましたがね。ほんなら今日の奉迎の委員の方達の顔ぶれを思うて見ますと、先ほど今先生が申しておりましたように、又委員長が申しておられたようにです。本当に合楽の飛躍をそのメンバーの中に感じる事が出来る。これが〇〇教会辺りだったらどうだろうか。
 もう何時もかつもが80になるお総代さんが、何時もその頂上に座っておられる。と言った様なまぁね、いかにもそれはあれはその、事なかれ主義ではあろうけれども、なぁにもそれでは出来ない。しかもほんなら合楽の場合は、その一段一段重ねて行くていうか、積み上げられて行く、その信心の人達がもうその人達じゃなからなければ出来ないポストにあってです。
 例えば総代さん方がです、もういよいよ、合楽の言わば名総代としてのです、言わば一切の合楽の働きという物の原動力を、総代さん方の信心によって握られると言った様な実感が、私は日々するんです。こりゃ私は総代会の時に、本当に私はこれだけはあなた方にお世辞じゃないという事を言うんですけれどもね。あなた方が毎朝総代が、あぁしてお参りされて、多い時には全員。
 少なくとも5人、6人が総代さん方がね、教会全般の事にわたって、朝の修行と共にです。お取次を願うて下さるという事は、これほど教会長として、心強い事は有りませんと、私は申しております。こういう例えば、総代会が他にあるだろうかと。これだけは言う、内容は別として。と言う様にその信心の内容も、それぞれに格段の進みを、感じられるほどしにおかげを頂いておるという事。
 そこでです私は、又帰られる時に、まだお取次をしていなかったものでしたから、あそこにお初穂のお供を持って見えましたから、私が御結界に座らせて頂いて、お取次させて頂きましたら。頂きます事がね「杉の山」という事を頂いた。こりゃ「杉の山」という事は、これは寂しい修行という事になりますから、尚強うお願いさせて頂きよりましたら、その「松の山」と頂きました。それでその事をまた一下り聞いて頂いたんですけどね。あなたのね、今思うておられる願いは細い。
 今あなたが思うておられる事は小さい。これにもう一回り大きな思いを変えられなければいけません。例えば杉が淋しい事ならば、松が賑やかな事とまぁ仮定致しましょうか。そこで松という字を頂くと、木辺に公と書いて有りましょうが。木は心である。心をもうちっと公の事に私のものじゃない範囲が狭い、玖珠町だけの事じゃない。私が町長になるという事は、玖珠町の発展だけではなくて、大分の発展につながるんだという程しのね、例えて言うと、そういう自負をねお互いが持たなければいけません。
 そんな事くらいで、もうえらい感動されました。私共ほんの小さいその辺の事ばっかり考えて、本当にあの思いを一つ変えさせて頂いて、まぁここのご信者の一員にも、加えて頂くほどしのまぁおかげを頂きたいというような事を言うて帰られました。その事がここの例えばご信者方とも、これからのつながりともなる事ならば、あなたの方での今度は縦のつながりは、ある意味で自信が有りなさる仕事の上には。
 けれども悲しいかな、横のつながりが崩されてしまっておるという感じですから。そこはねそこは一つ本気で神様にお縋りをしてご覧なさい。もうそれはそれは、もう大変な有難い事ですよと言うて、私はその事実を話しました。先日もここに亀井さんの今度の再県知事としての、出馬される為のお願いに見えられた。その翌日でした。ある方が亀井さんをお届けをされるんです全然関係がない。
 そして私達のグループは実を言うたら、何とか信念さんという事になってしもうておりますとこう言う。ところが私は、どんなに考えても亀井さんでなからにゃいかんと思うた。自分のグループは、随分大きなグループなんですよ。だから私を中心にした、私のグループだけはどうでも、亀井さんにと言うて思うておりますから、どうぞおかげ頂きます様に。私が亀井さんのお取次をさせて頂いたという事、知らんなりに言いよるとばい、明くる日は。私はそれからその方に申しました。
 この事をね亀井さんに聞かせたいなって言うて、話した事でした。自分達とは全然、派閥のの違ったグループの方がですよ。明くる日はもうその方の名前をお届けして、どうぞ、おかげを頂かれるようにというような働きが、明くる日私は感じたんですけれどもね。そういう働きがあるんですよ。今までもうとにかく思いも掛けない所に、神様の働きというものが、もう始まっておる事を感じる。
 そういう働きが頂けれるのが信心だと、まぁ申しました。で今そのこれは町長選ではありません。いわゆる私共の事ございますよね。先程からも申しましたようにそれぞれがです、例えば神様の願いを受けて立たせてという建て前。役員ではないから。又は自分は大して認められていないからではなくて、問題は人からではない。本当にこういうこの際です、神様に本気で認められる信心を現して行かなければいけない。
 それには今あなた方が思うておる思いは、まだ小さいと言う事。ですからもちっと、心を大きく持ってです大きな願いの中に、今度の合楽の5周年の記念祭が奉仕されるのだ。それに対する事業も、そういう大きな願いの基に、そのことの事業が進められるんだという、一つ思いを変えさせて頂いてのおかげになければいけない、と言う風にこれはもう本当に思うんです。いわゆる先ほどもちょっと申しかけましたように、櫻井先生が頂かれたという。合楽願そのまま、天地金乃神の願いであると。
 ですから私がいかに、そう言うて力んでおった所でです、皆さんがです成程自分の思いこそが親先生の願いである。自分の思いこそがそのまま天地の親神様の願いであろうという願いにです、燃えなければいけないという事なんです。それを私は自分達の信心がもう一回り大きゅうなって行くと言う事だというふうに思う。しかもその大きくなって行く事の中に、大は小を兼ねるという、私共の願いも叶えられる訳なんですから。
 いやそれをむしろ、神様がねらっておられるのですから。その辺の所を一つ本気で取り組ませて頂いて、自分の信心の内容、祈りの内容を大きくして行きたいと、そしてそれが充実して行くおかげを頂きたい。これは皆さんが、体験積みでありますように、あの三男幹三郎の、病気の事で一心の真を捧げた勢信心というものが、いかに素晴らしい働きを現すかと言う事をですね。私は思うて下さらなければいけないと思う。
 ですからここに特別奉修委員と言う、これはもう合楽理念のある限りの人が、この事は願わなければならんのです本当言うたら。だからここに奉修委員とか、御祈念係りとかと言うそこん事の方が嘘のような感じが致します。けれどもそれではね矢張りその誰が中心になるか、先達になるかが分かりません。だから一つここにそういう祈りの中心になる先達がです、なかなければならない。
そこでそれをどういう風に誰々がご祈念係りなんて言ったら、と言うて随分名前がだいぶん出ておりましたけれどもね。私それをちょうど書いとる時に、ここに来ましたからこれは茂さん、あのこういう風にしたらどうかと言うて、まぁヒントを与えたんですけれど、どうでも、やっぱそういう生き方で頂きたいとこう思うんです。と言うのはねここで特殊な信心の集いの会がいくつもある。
 まず言うならば、総代会が先頭に立ってです。言うならば菊栄会そして松栄会、美登里会、それから竹葉会、又は黄楊会、例えばこの五つの会がです、これは普通の正常の会じゃないですね、婦人会とか壮年会という青年会という、その会がその中から言うなら、ある意味で抜粋された方達、より選られた人達が問題に応じて、お互いの信心をより高めて行こうと言う集いの人達がです。
 そういう人達を中心にして今度のご祈念会を進めて行かれたらどうであろうかと。勿論それだけで良いて事はない、ただその人達が一つのその年代その時代の人、の、先達になって下さると言う事なんです。そういう私は意味で皆さんのご承認を得たい。そしてそういう特別な強い祈りも、しかもそれはね、だたこれはまぁもう何と言うても、あの幹三郎の時の、皆さんのご信心の姿勢だと思います。
 どうでも助かってもらわんならんと言う、皆さんのあの願いがです。日々百四五十名ずつの方達がです、それこそ一心の真を捧げての願いでしたもんね。それこそ夢にも普通でいうなら思えない程しの、鮮やかなおかげになっております。だからね、もうばらばらでは持ち上がらないのです。ですからどうでも一つおかげを頂いて、老いも若きもこの例えばチャンスをです、しっかりに頂いて。
 例えば文男さんが、正義さんが、前の御造営の時の体験を。あのように語っておりましたようにその事によって、一つ力を頂かせて頂くではないけれども。もうそういう力を与えなければおられないと、神様が仰せられるほどしのです、信心をこの際現して行きたい。奉迎五年記念祭の、奉迎又はその準備の委員会が、今日ここにこうして持たれました。しかも記念事業までがあのように手のいった。
 手の込んだ様々なその御用にあたられた方達が、苦心をされて。今日ここに発表される所まで至りましたのでございますから、それが本当に有難い意味においての、実現を見るおかげを頂かせて貰うて、一段と合楽の比礼じゃない金光教の比礼じゃない、本当に神の願いが、私共のそういう大願によってですいくらかでも成就して行く事の願いをね、立てたいと思うのでございます。
   どうぞよろしくお願いいたします。